旧 東黒門町
東叡山寛永寺が創建されたことにともない、寛永三年(1626)に同寺の門前町として上の新黒門町ができた。この命名については御府内備考が『東叡山御門前に相成、元黒門町に引続町屋に御成候に付き新黒門町と唱候哉 』と述べられているのに由来する。
上野新黒門町は、御成道(現在の中央通り)の両側に形成されていたが、明治二年(1869)、御成道を境にして東西に二分され上野西黒門町、上野東黒門町として新たに発足した。よく三年、東京府の近代都市政策のもと、下谷第三十九番組に属し、地元指導者を中心にまちづくりが始まった。そして、明治五年(1872)付近の武家屋敷を合併し、本町は形づくられた。明治四十四年に上野の二字をはずし、東黒門町となった。
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