当神社は、昭和32年まで阿部神社と称えていましたが、国家のために殉じられた御英霊を合祀した備後護国神社と合併して、社名を備後護国神社と改め、阿部神社の社名はなくなりました。
阿部神社の建立は、文化10年(西暦1813年)に時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのがはじまりです。
御祭神は、大彦命、武沼河別命(二柱とも四道将軍)を始め歴代藩主をお祀りしてあります。
御神徳は、御祭神の御功績によるもので、大彦命の開拓・平定による開運・家内安全・健康・厄除等です。
歴代の中で特に阿部正弘公は、老中筆頭として国旗(日の丸)を制定され、嘉永6年(西暦1853年)ペリー来航に当たり和親条約を締結し、日本の開国と、福山に誠之館を創設して、近代教育の基礎をつくられた教育の神様で、天満宮と並び尊ばれ、受験合格・学業成就の神として信仰されています。
例祭日
備後護国神社 10月23日
阿部神社 勇鷹祭 5月19日
広島県福山市丸之内1丁目9−2 備後護国神社
阿部正弘公石像潜り
正弘公は天保14年(1843年)25歳にして江戸幕府老中、今の大臣になり教育に力を注ぎ嘉永5年(1852年)老中筆頭、今の総理大臣に就き江戸と福山に誠之館を建てる。安政元年(1854年)日米、日英、日露の和親条約を結び開国し、近代文明国、日本の基礎を作る。また、学問のできる人材を広く重用して教育の重要性を高揚し、日の丸を日本の国旗と制定した人でもあります。阿部家11代、福山城主7代目の正弘公は、当神社の御祭神であり、希望学校の合格、就職の御祈祷を受けられ、石像を潜り希望をかなえてください。
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