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2018-04-09

信濃招魂社 在天の英霊に捧ぐ

信濃招魂社 在天の英霊に捧ぐ 
碑文書き起こし



天の英霊に捧ぐ

 限りなき蒼壁の涯に夢を追いし少年の日 国家興亡の命運を知り 率先 空への道を拓く。選ばれては陸軍航空の重責を担い、武窓に入りては、操縦通信整備の特技を修む。出でては異郷千里、征旅倥偬の日を過ごす。進みては特別攻撃隊員として玉砕、或は空戦に爆襲火戦に殪れ遺恨病魔に逝く。魂氣いまも勇雲の彼方に在す。
 戦争目的の正邪帰趨を問はず、純真な愛國の至情を抱き従順に祖國と民衆のために散華せし兄等よ、安らかに眠れ。
 ああ 星霜は往く 離魂妖魔を拂い、この平和を永遠に護り継ぎて、幽勝揺籃の山河いまも明媚たり。この信濃の地に 兄等の芳名と武勲とを子孫に留め、鎮魂の詞を捧ぐ 魂魄心あらば來たりて我等が意趣を饗(う?)けよ

昭和47年5月15日 沖縄復帰の日
元陸軍少年飛行兵第15期生 笹部 武安 撰文
同右            丸山 重雄 謹書
長野県小飛會 建之


設計監理 長野市 株式会社 園建
石工事施工 大町市三日町 柴田石材









https://photos.app.goo.gl/zEDG1DfD9v12MDH42

2018-04-08

善光寺日本忠霊殿

善光寺日本忠霊殿






善光寺日本忠霊殿造営の由来
奉祀の霊240万柱

善光寺日本忠霊殿は戊辰の役(明治元年ー1868年ー)以降太平洋戦争に至る間 国難に殉じた240万の忠霊を奉祀(ほうし)(おまつり)する わが国ただ一つの仏式による霊廟(れいびょう)(おたまや)であり 明治39年(1906年)の創建に成ります。
たまたま日支事変 太平洋戦争における殉国の将兵100万余柱の遺骨遺髪など「おかたみ」を勧請(かんじょう)(おむかえ)したのを機縁(きえん)に 新たに永世不朽(えいせいふきゅう)の殿堂を建立することに財団法人善光寺日本忠霊殿造営奉賛会を結成 浄財を全国に求めました
趣旨に賛して寄進する有志都鄙(とひ)を蔽(おう)うて余さず 造営の工程も順調に進んで昭和45年3月(1970年)廟塔(びょうとう)を落成し 240万の忠霊安らかにここに鎮まりました。

平和祈願の霊廟
本尊は阿弥陀如来

善光寺日本忠霊殿は 善光寺の本尊一光三尊仏(いっこうさんぞんぶつ)=阿弥陀如来(あみだにょらい) 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 勢至菩薩(せいしぼさつ)=請来(しょうらい)(おむかえ)して本尊と定めました
年祖国に殉じ 人類永遠の平和の礎(いしずえ)と化した精忠(せいちゅう)赫々(かくかく)の霊魂(みたま)は 仏のみちびきによってこの霊廟に鎮まり阿弥陀如来の慈悲のみ光のもと 永久(とわ)に国家民生の安泰をお護りするのであります
敬仰追慕(けいぎょうついぼ)して忠霊の冥福を念じ 祖国万邦の和平繁栄を冀(こいねが)い併せて一家同胞(はらから)の息災延命(さわりなき)をお祈りいたしましょう

昭和45年4月吉日



善光寺日本忠霊殿
戊辰戦争(ママ)から第二次世界大戦(ママ)までの戦争で亡くなった、約
万柱の英霊を祀る仏式霊廟です。明治39年(1906年)に創建され、昭和45年(1970年)に現在の姿に改築されました。1階には善光寺ゆかりの宝物を展示する「善光寺資料館」が併設されています。