函館市青函連絡船記念館摩周丸
北海道と本州を隔てる津軽海峡にはかつて、青函連絡船が航行していました。(以下は函館市観光サイトへ)
津軽丸 大錨(左) D51種動輪(中央) 大雪丸 大錨(右)
動輪の由来
ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
当時の所在地
東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋
敷地および建物
約37,000平方米の敷地に校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。
存在した時期
大正13年(1924年)~昭和29年(1954年)
またこの地は鉄道開通50年記念事業の一環として設立認可された財団法人鐵道育英会により設立した東京鐵道中学が東京鐵道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、」東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所であもある。
存在した時期
大正13年(1924年)~昭和57年(1982年)
これらの施設は昭和20年4月14日の東京大空襲で一旦焼失した。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。