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2024-10-29

函館市青函連絡船記念館摩周丸

 函館市青函連絡船記念館摩周丸

北海道と本州を隔てる津軽海峡にはかつて、青函連絡船が航行していました。(以下は函館市観光サイトへ)





津軽丸 大錨(左)  D51種動輪(中央)  大雪丸 大錨(右)



2022-04-24

旧新橋停車場

旧新橋停車場 駅舎玄関遺構 ゼロマイル標識 プラットホーム 創業時の線路



駅舎玄関遺構

ここに残されているのは、正面玄関の階段の最下段として使われていた切石です。正面玄関の階段は9段あったこと が、当時の写真から分かっています。

2021-04-24

動輪の由来

 動輪の由来

ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。

当時の所在地
東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋

敷地および建物
約37,000平方米の敷地に校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。

存在した時期
大正13年(1924年)~昭和29年(1954年)

またこの地は鉄道開通50年記念事業の一環として設立認可された財団法人鐵道育英会により設立した東京鐵道中学が東京鐵道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、」東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所であもある。

存在した時期
大正13年(1924年)~昭和57年(1982年)

これらの施設は昭和20年4月14日の東京大空襲で一旦焼失した。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。









2018-05-14

旧信越本線碓氷第3橋梁(めがね橋)





国指定重要文化財
碓氷峠鉄道施設
碓氷第3橋梁(めがね橋)
平成5年8月17日 指定


 高崎~横川間は明治18年(1885年)10月、軽井沢~直江津間は、21年にそれぞれ開業しましたが、碓氷線と呼ばれた横川~軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため、路線決定にに紆余曲折し、明治26年(1893年)4月開業となり、高崎~直江津間の全線が開業しました。

 横河~軽井沢間の11.2キロメートルは、千分の66.7という最急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていた、アブト(=アプト)式が採用され、昭和38年まで走り続けました。

 この碓氷線には、当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、なかでもこの碓氷第3橋梁は2百万個以上のレンガを使用した、国内でも最大のレンガ造アーチ橋です。

文化庁
安中市教育委員会




旧信越本線の碓氷第3アーチ
1.建設
  明治25年12月竣工
2.設計者
  イギリス人 パゥエル技師
  日本人   古川晴一技師
3.構造
  煉瓦造アーチ橋(径間数4、長さ87.7メートル)
4.建設してからのあゆみ
碓氷の峻険をこえるため。「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。
その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止になった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しております。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。
昭和45年1月1日
高崎鉄道管理局
松井田町教育委員会









2018-04-25

碓日嶺鐡道碑(復元模造)

碓日嶺鐡道碑(復元模造)


軽井沢駅舎脇にある碓日嶺鐡道碑(復元模造)

陸軍大将従二位勲一等伯爵山県有朋 篆額
従四位勲四等文学博士 重野安繹 撰文


この石碑の由来については、「碓氷峠に鉄道の復活を主張するホームページ」に詳しくあるのでそちらを是非ご覧ください。

石碑についての直接リンクはこちら「碓日嶺鉄道碑

碓氷線の建設については「碓氷線の廃墟に眠る鐡道碑」に詳しい説明があります。碑文の解読も。


碓氷峠鉄道文化むらに展示されている拓本の複写
破損前の現物からの拓本でしょうか。

草軽電鉄電気機関車

草軽電鉄電気機関車

 この機関車はデキ12型機関車といいアメリカのジェフェリー社で大正9年に製作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したのもである。

 大正4年7月より草軽軽便鉄道営業を開始、大正15年軽井沢~草津間(55.5キロ)の電化が完成してから、昭和37年1月31日路線を廃止するまでの約35年の間、地元民の足として、また、旅行者・避暑客の良き案内人として親しまれた電気機関車である。

 南側の一対の車輪は、同機関車が牽引した客車の車輪である。

軽井沢町
軽井沢町教育委員会
軽井沢町文化財審議委員会





 






2018-04-16

王滝村の森林鉄道

王滝村の森林鉄道


森林鉄道

 このディーゼル機関車は、木曽郡上松町、王滝村にあった森林鉄道で、昭和26年から昭和50年まで木曽五木(ヒノキ、サワラ、ヒバ、コウヤマキ、ネズコ)などの木材を運んでいました。走った距離は、18万5千キロメートルで、地球を4周半回ったことになります。

 森林鉄道は、大正3年3月、長野県内で初めて木曽谷を走って以来、木材を運ぶだけでなく、「林鉄」の愛称で親しまれ、山で暮らす人々の生活物資を運んだり、沿線に住む人の足として利用され、地域山村の生活にも役立っていました。

 その後、時代の流れとともに、木材の運搬がトラックに変わり、昭和50年3月に日本で最後の木曽谷の森林鉄道が廃止になったのを機会に、その功績をたたえ、時代の移り変わりをしのび、生きた歴史の資料として、ここに展示しているものです。

 なお、このディーゼル機関車より一昔前まで活躍していた蒸気機関車(ボールドウィン)や森林鉄道に関する資料は、木曽郡上松町の赤沢自然休養林(木曽森林管理署管内)に展示してあります。

中部森林管理局







2018-04-09

善光寺東参道 開鑿記念碑

善光寺東参道 開鑿記念碑


記念碑

大正12年長野電鐵株式會社創立セラルルヤ善光寺東口方面開發並ビニ一般市民利便達成ノ為メ主要停車場ノ設置及之カ連絡道路ノ開鑿ヲ計畫シ關係地元六箇町區長並ニ有志相謀リ頼母子講第一公益講ヲ組織シテ經日費ノ醵出ヲ企圖シ時ノ電鐵社長神津藤平氏及長野市長丸山辨三郎氏ノ指導援助ニ依リ縣會市會ノ協賛ヲ得遂ニ道路ノ開通並ニ善光寺下驛ノ竣設ヲ見ルニ至レリ是レ實ニ如上關係者及講員各位ノ協心戮力ノ賚ニ外ナラス茲ニ碑ヲ建テ由來ヲ記シ以テ後昆ニ傳フト伝爾

2015-12-01

高槻城跡 2

高槻城跡 2

高槻城が記録に登場するのは、14世紀前半、入江左近将監春則が居城としてからである。

永禄12年(1569)には和田惟政が城主となったが、元亀4年(1573)、その子惟長と対立した高山飛騨守・右近父子が、和田氏を滅ぼして城主となった。キリシタンであった右近は、城内に天主教会堂を建てるなど布教に努め、天正9年(1581)には、イタリアの巡察使ヴァリニァーノを迎えて盛大な復活祭を催している。

その後は豊臣氏、徳川氏の直轄となり、大阪夏の陣(1615)後、内藤・土岐・岡部など譜代大名が城主となった。そして慶安2年(1649)、永井直清が3万6千石をもって入城、明治時代までの13代約230年にわたり、永井氏の藩政が続いた。

明治7年(1874)の鉄道敷設に伴って高槻城は破却され、今では城跡公園となり、市民の憩いの場となっている。昭和50年の調査では、本丸石垣の基礎部分を発掘、今も地中に遺構が眠っていることが明らかになった。本敷地内の石組みは、天守台や本丸御門の基礎石(根石)である。

高槻城跡は、昭和25年5月に府の史跡に指定されている。

昭和63年6月

大阪府教育委員会
高槻市教育委員会




高槻城跡 1 城跡公園

高槻城跡 1 城跡公園

高槻城跡は南北朝に姿を見せ 江戸期には八丁松原の景観と調和して名城とたたえられました。

城主のなかで高山右近はキリシタン大名で有名です。大阪京に近い城下町は漢詩人 藤井竹外ら多くの文人学者を育てました。城の石は明治初期今の高槻の町に発展する契機となった鉄道(JR)敷設に役立つなど高槻城跡には数々のドラマが秘められています。






2015-05-03

西武池袋線中村橋駅 古レールの記念保存

西武池袋線中村橋駅 古レールの記念保存

OH TENNESSEE-6040-ASCE-I-1924
アメリカのテネシー社製。
1924年圧延。
「OH」は平炉(Open Heath)で精錬したことをあらわす。
「6040」は60ポンド、40は規格番号をあらわす。
「I-1924」は1924年1月圧延をあらわす。











KROLHUTA 1927 M I
ポーランド南部のクロレフスカ・フータ製鉄所製。
1927年圧延。
「M」はマルチン平炉をあらわす。
「I」は1月圧延をあらわす。



60 A 1928 IIIIIIII
官営の八幡製鐵所時代(1901年~1934年)に圧延。
「60A」は60ポンドを表し、Aはアメリカ土木技術協会(ASCE)規格であることをあらわす。
I の数で8月圧延をあらわす。










CARNEGIE 1914 ET I 45 A
アメリカのカーネギースチール社製。
1914年圧延。
「ET」は「エドガートムソン工場」で圧延されたことをあらわす。
「45A」は45ポンド数を表し、Aはアメリカ土木技術協会(ASCE)規格であることをあらわす。










H-W-60LBS ASCE-XI-1925
フランスのウエンデル社製。
1925年圧延。
「60LBS」は60ポンドレールをあらわす。
「ASCE」はアメリカ土木技術協会規格をあらわす。
「AI」は11月をあらわす。









MICHEVILLE I 1926 T.B.  A.S.C.E. 60 lbs
フランスのミッシュビル社製。
「I」は1月圧延をあらわす。
「T.B.」は製造法の種類をあらわす。
「A.S.C.E.」はアメリカ土木技術協会規格をあらわす。
「60」は60ポンドをあらわす。







G.H.H.1926
ドイツのブーテホフヌング・ヒュッテ製鉄所製。
1926年圧延。