ラベル 善光寺 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 善光寺 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018-07-16

千石稲荷大明神 長野市南石堂町

千石稲荷大明神
長野市南石堂町





千石稲荷神社の由来

 抑抑(そもそも)、古くは善光寺平に農耕が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和15年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。

 千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、千石町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。

 千石稲荷は農耕、商いのかみとして有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健康)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。

 昔より、千石とは、収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。

(紀元貮千六百年奉賛会の記録より)

2018-04-09

善光寺東参道 開鑿記念碑

善光寺東参道 開鑿記念碑


記念碑

大正12年長野電鐵株式會社創立セラルルヤ善光寺東口方面開發並ビニ一般市民利便達成ノ為メ主要停車場ノ設置及之カ連絡道路ノ開鑿ヲ計畫シ關係地元六箇町區長並ニ有志相謀リ頼母子講第一公益講ヲ組織シテ經日費ノ醵出ヲ企圖シ時ノ電鐵社長神津藤平氏及長野市長丸山辨三郎氏ノ指導援助ニ依リ縣會市會ノ協賛ヲ得遂ニ道路ノ開通並ニ善光寺下驛ノ竣設ヲ見ルニ至レリ是レ實ニ如上關係者及講員各位ノ協心戮力ノ賚ニ外ナラス茲ニ碑ヲ建テ由來ヲ記シ以テ後昆ニ傳フト伝爾

2018-04-08

善光寺日本忠霊殿

善光寺日本忠霊殿






善光寺日本忠霊殿造営の由来
奉祀の霊240万柱

善光寺日本忠霊殿は戊辰の役(明治元年ー1868年ー)以降太平洋戦争に至る間 国難に殉じた240万の忠霊を奉祀(ほうし)(おまつり)する わが国ただ一つの仏式による霊廟(れいびょう)(おたまや)であり 明治39年(1906年)の創建に成ります。
たまたま日支事変 太平洋戦争における殉国の将兵100万余柱の遺骨遺髪など「おかたみ」を勧請(かんじょう)(おむかえ)したのを機縁(きえん)に 新たに永世不朽(えいせいふきゅう)の殿堂を建立することに財団法人善光寺日本忠霊殿造営奉賛会を結成 浄財を全国に求めました
趣旨に賛して寄進する有志都鄙(とひ)を蔽(おう)うて余さず 造営の工程も順調に進んで昭和45年3月(1970年)廟塔(びょうとう)を落成し 240万の忠霊安らかにここに鎮まりました。

平和祈願の霊廟
本尊は阿弥陀如来

善光寺日本忠霊殿は 善光寺の本尊一光三尊仏(いっこうさんぞんぶつ)=阿弥陀如来(あみだにょらい) 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 勢至菩薩(せいしぼさつ)=請来(しょうらい)(おむかえ)して本尊と定めました
年祖国に殉じ 人類永遠の平和の礎(いしずえ)と化した精忠(せいちゅう)赫々(かくかく)の霊魂(みたま)は 仏のみちびきによってこの霊廟に鎮まり阿弥陀如来の慈悲のみ光のもと 永久(とわ)に国家民生の安泰をお護りするのであります
敬仰追慕(けいぎょうついぼ)して忠霊の冥福を念じ 祖国万邦の和平繁栄を冀(こいねが)い併せて一家同胞(はらから)の息災延命(さわりなき)をお祈りいたしましょう

昭和45年4月吉日



善光寺日本忠霊殿
戊辰戦争(ママ)から第二次世界大戦(ママ)までの戦争で亡くなった、約
万柱の英霊を祀る仏式霊廟です。明治39年(1906年)に創建され、昭和45年(1970年)に現在の姿に改築されました。1階には善光寺ゆかりの宝物を展示する「善光寺資料館」が併設されています。