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2024-10-30

はなし塚

はなし塚
台東区寿二丁目九番七号 本法寺





本法寺

 はなし塚

台東区寿二丁目九番七号 本法寺

 この塚が建立された昭和十六年十月、当時国は太平洋戦 争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目に ついて自粛を強いられていた。落語界では、演題を甲乙丙 丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺等五十三種を選び、禁演落語 として発表、自粛の姿勢を示した。この中には江戸文芸の名作といわれた『明烏』『五人廻し』『木乃伊取』等を含み、高座から聴けなくなった。

 「はなし塚」は、これら名作と落語界先輩の霊を弔うた め、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一同、 落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語 の台本等が納められた。

 戦後の昭和二十一年九月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。

平成十六年三月

台東区教育委員会

2018-04-25

松井須磨子の養家跡(推定地)

松井須磨子の養家跡(推定地)長野県上田市松尾町

松井須磨子は、明治から大正期の大女優で、日本初の近代演劇女優です。

須磨子は、明治19年に松代の旧家にて生まれました。6歳の時に、叔母の嫁ぎ先である上田で洋品店を営む商家へと養女に出されています。

そして上田女子尋常高等小学校へ通う10年間、須磨子は上田で暮らしました。

多感な少女時代を過ごした養家の場所は記録が残っておらず不明ですが、当時の地図からここだったと推測されます。

その後、上京して坪内逍遥が主宰する文芸協会の演劇研究所に入所した須磨子は、明治44年に「ハムレット」のオフィーリア役にてデビューし、華々しいスターの道を歩み始めます。大正2年には熱烈な恋愛関係にあった島村抱月とともに「芸術座」を設立。トルストイの「復活」での劇中歌「カチューシャの歌」など、次々と大ヒット作を世に送り出し続けました。