2014-05-10

浅草橋南詰 郡代屋敷跡

浅草橋の南詰に交番があります。その前に 郡代屋敷跡 の 案内があります。
夕方になると浅草橋したの屋形船に灯が入り川面に美しく映ります。
橋の北詰には浅草見附跡の碑もあります。


郡代屋敷跡

所在地 中央区日本橋馬喰町2丁目

 江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった場所です。

 関東郡代は、天正18年(1590)徳川家康から代官頭に任命された伊奈忠次の次男忠治が、寛永19年(1642)に関東初代間の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。元禄年間(1688-1704)には関東郡代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。

 その役宅は、初め江戸城の常盤橋門内にありましたが、明暦の大火(1657)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷と称されました。

 寛政4年(1792)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねることとなり、この地に居住しました。文化3年(1806)に関東郡代制が廃止され、さらに屋敷が消失した後には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。

平成20年3月 中央区教育委員会








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