2014-11-14

佐久間象山 大村益次郎 遭難の碑

佐久間象山 大村益次郎 遭難の碑

 佐久間象山は信州松代藩の出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。彼の塾からは、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬ら傑物を排出します。元治元年(1864年)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に務めたため、同年7月11日に刺客に斬殺されました。

 大村益次郎は長州藩出身で、医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで兵学者となりました。長州藩の軍事指導者として活躍し、その功績から維新後、兵部大輔に任命され、近代兵制樹立に尽力しました。しかし、廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士族に襲われ、同年敗血症で死去しました。






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