山門を 出れば日本ぞ 茶摘み歌
七十三齢 菊舎
黄檗山萬福寺にて
一字庵田上菊舎は、宝暦3年(1753年)10月14日、現山口県下関市豊北町田耕に生まれた。16歳で近くの村田家に嫁いだものの、24歳のとき夫と死別。子供がいなかったため、実家に復籍。俳諧の道をこころざし、芭蕉を慕い、尼僧となって諸国行脚に明け暮れ一世を風靡した美濃派の俳人である。
菊舎が萬福寺に初めて詣でたのは、寛政2年(1790年)3月、38歳のときで、
見聞に耳目をおどろかしつゝ、黄檗山のうちを拝しめぐり、誠に唐土の心地し侍れば
山門を出れば日本ぞ茶摘うた
と詠んでいる。
黄檗山のたたずまいに酔いしれた菊舎が、三門を出た時、門前の茶畑からうたが聞こえ、一瞬我に返った時の句である。
菊舎は、文政9年(1826年)8月23日、同市長府にて死去。享年74歳。
句碑の銅板は第二次大戦中の金属供出により失われていたため、平成17年8月、菊舎顕彰会が復元したものである。
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