2014-09-21

京橋大根河岸青物市場跡 Kyobashi radish riverbank vegetable market remains

京橋大根河岸青物市場跡
Kyobashi radish riverbank vegetable market remains

下記の碑文は ビバ!江戸 より引用しました。

遠く寛文の初め江戸数寄屋橋邊に處の人数名打倚りさゝやかなる青物の市を立てしに遠近の村村より作物多く集りぬ是等の店はゆきゝの人或いは附近の人人に之をひさぐ数年ならずして店の数増加し漸く市場の形整い江戸府民のため無くてはかなわぬ機関とはなりぬその後火炎に罹りしにより東海道の要路にあたり且つ水運の便ある京橋川の北岸紺屋町へ移轉す偶この市場への大根の入荷殊更夥しきにより世の人大根河岸と呼び遂に京橋大根河岸と稱うるに至るかくて二百餘年を経たる明治十年京橋川南岸の太刀賣と稱する甘藷問屋数名を加入せしめ問屋三十七軒仲買十七名を數うるに至りしかば府尹の認可を得て組合を設立しこゝに始めて大市場としての規模完成す
大正十二年九月大震災の厄難に遭いしも組合員は鋭意復興に努力し以前に優る盛況を呈す時に問屋六十八名仲買百五名なり昭和十年二月中央卸賣市場法實施の一環として東京市中央卸賣市場の開設さるに際し國家の要請否みがたく父祖三百年愛着の絆を断ちて揺籃の地を去り築地本場に入り問屋は一体となりて会社を起こし仲買は舊態のまゝ開業すその後第二次世界大戦のため幾多の變革ありしも戦後再び舊状に復し業況益好調を極む斯る折柄舊京橋青物市場蹟記念碑建設の議起り期成会を組織して之が實現に努め漸くその工を竣えたり依ってここにその由来を記し開設以来二百八十餘年の歴史を回顧し其盛時を偲ぶたよりとなす
昭和三十四年六月 藤浦富太郎撰  江川碧潭書




2014-09-20

江戸歌舞伎発祥の地Location of Edo Kabuki originated

江戸歌舞伎発祥の地

寛永元年2月15日元祖猿若中村勘三郎中橋南地と言える此の地に猿若中村座の芝居櫓を上ぐ これ江戸歌舞伎の濫〇也 茲に史跡を按し斯石を鎮め國劇歌舞伎発祥の地として永く記念す
昭和32年7月 建立
江戸歌舞伎旧史保存會

Location of Edo Kabuki originated 

Saruwaka Kanzaburo Nakamura had given him a play tower of Saruwaka Nakamura seat on February 15, 1624. 
This is the beginning of the Edo Kabuki.






2014-09-15

酒米 五百万石  栽培者 大洋酒造株式会社 杜氏 田澤 勝


五百万石
栽培者 大洋酒造株式会社 杜氏 田澤 勝

 こちらのはさ掛けしている酒米『五百万石』は1956年(昭和31年)、新潟県によって開発されました。同県農業試験場にて亀の尾の後代にあたる新200号と、雄町=渡船の後代にあたる菊水を交配させることによって誕生。そのころ新潟の米の生産高が五百万石を突破したことを記念してこのように命名されました。

 すっきりとした切れ味が良い酒も多いが、いわゆる「フルーティーな香り」を醸し出す代表的品種で、1980年代以来、吟醸酒ブームの立役者となっています。

 西の名酒米『山田錦』と比較して、東の名酒米ともいわれる。

 当社地元新潟県村上市は新潟県コシヒカリ産3大山地の一つ『岩船産コシヒカリ』の産地とともに良質の酒米の産地でもあります。そんな山紫水明の地村上で育まれた当社では地元産の原料米にこだわっております。蔵人たちは酒蔵の閑期(春・夏)にコシヒカリを栽培するかたわら、自らの田んぼで清酒大洋盛の原料米を自家栽培し厳冬期の酒造りに使用しております。そんな蔵人たちのこだわりをお確かめください。

越後村上 清酒 大洋盛

東京銀座 紙パルプ会館前にて 2014-09-15













2014-09-14

芝浦運河

港区芝浦

通勤で朝夕に渡る橋から見る芝浦運河です。
この潮位が大体最高くらいです。
一番引き潮になると、護岸側に近い場所の底が現れます。
約2メートルくらいの干満差だと思います。

 ここは「屋形船石川」の出発場所です。団体だとここから乗船できるようです。
底の色が黒いので水が汚れて見えています。

実際にはそれほど濁っていなくて、よく見ると子魚の泳ぐのが見られます。



このすぐ近くのでは、こういう風景も見られますよ。


2014-09-13

誕生日に子供たちが食事に誘ってくれました。

誕生日に子供たちが食事に誘ってくれました。
2014-09-13

The birthday of 61 years, my children have invited me to dinner.

ラ・リベルタ (船橋市)






アスティ スパークリング

グラスが汚いですね。せっかくのスパークリングですが。



無花果と生ハム



ヴェルデッキオ カステッリ ディ イェージ


 前菜の盛り合わせ

 バーニャカウダ


ピッツァ 4種類のチーズ 



タリアテッレ 和牛と岩中豚のミートソース


 スズキの香草パン粉オーブン焼き

食事が終わり帰り道、東の空の低い位置に月が出ていました。

2014-09-10

満月、月齢15 2014年9月9日の月

満月、月齢15 2014年9月9日の月。

前夜の8日が中秋の名月でした。

この辺りの詳しいことはこちらで。
「名月必ずしも満月ならず」




ファイル情報 1
ファイル: DSCN6521.JPG
作成日: 2014/09/09 22:40:03
変更日: 2014/09/09 22:16:10
ファイルサイズ: 1.80 MB
画像サイズ: 4896 x 3672
ファイル情報 2
撮影日: 2014/09/09 22:16:11
画質モード: Jpeg Fine (8-bit)
カメラ情報
モデル名: Nikon COOLPIX S9500
焦点距離: 336.6mm
電子ズーム倍率: 3.40
コンバーター:
フォーカスモード: AF-S
手ブレ補正: ON (ハイブリッド)
露出
絞り値: f/6.3
シャッタースピード: 1/250秒
露出モード: プログラムオート
露出補正: 0段
測光モード: スポット測光
ISO感度設定: オート (ISO 200)
フラッシュ
フラッシュモード:
画像設定
ホワイトバランス: オート, 0
ノイズ低減: しない
アクティブD-ライティング:
美肌効果: OFF
仕上がり設定
仕上がり設定:
カラー: 標準カラー
階調補正: 標準
彩度調整: 0
輪郭強調: オート
位置情報
緯度:
経度:
標高:
 



2014-09-03

サントリー 武蔵野ミニブルワリー限定醸造ビール 無濾過仕立て

 サントリー 武蔵野ミニブルワリー限定醸造ビール無濾過仕立て

 東京駅の某店で一日30杯限定で提供されているとか。
 まだ試験醸造の段階のようです。






府中市の下水マンホールカバー

府中市の下水マンホールカバー




府中高札場

府中高札場
東京都指定旧跡
 
 江戸時代に、禁制・法令等を伝えるために掲げた板札を高札と言います。高札は交通の多い場所などに掲げられましたが、このような場所は高札場と呼ばれます。府中高札場は、甲州街道、川越街道及び相州街道が交差する府中宿の中心を占める場所でした。高札場の裏手は、大国魂神社の御旅所があります。札翔けは屋根を有しており、ここに6枚くらいの高札が掛けられていたといわれています。

 この高札場の建物に関しては、江戸時代後期から末期にかけての年代が推測されています。

平成24年3月 建設 東京都教育委員会










天然記念物 大国魂神社欅並木

天然記念物 大国魂神社欅並木



天然記念物馬場大門けやき並木 石垣完成記念
 馬場大門けやき並木は、康平5年(1062年) 源 頼義、義家父子が奥州安倍一族を平定し、戦勝御礼としてけやきの苗木千本を大国魂神社に寄進したのがけやき並木のおこりだといわれています。
 
 その後、徳川家康が慶長5年(1600年)関ヶ原、慶長19年(1614年)大坂冬の陣、慶長20年(1615年)大坂夏の陣の戦勝御礼に二筋の馬場(南北約600メートル)を大国魂神社に寄進し、さんどうを挟む東西両側の土手にけやきの苗木を植えて並木を整備しました。

 それ以降、長い年月の間にけやき並木は風雨や落雷などによる損傷枯朽のつど補植が行われ、現在では約150本のけやきが今日なお四季折々にその雄大な姿をたたえ、市民にすばらしい憩いの場を提供しております。

 大正13年〈1982年)国の天然記念物に指定され、昭和57年(1982年)に新東京百景、平成6年(1994年)には新日本街路樹百景にも選ばれ、永い年月の間保存の努力が続けられております。

 府中市においても、これまでにけやき並木保全のため植樹帯等をもうけ、並木の保護につともてきましたが、老朽化のため平成5年(1993年)より平成7年(1995年)にかけ保護策の一環として景観整備とあわせ御影石による石垣工事を行い、このほど完成のはこびとなりました。

 これからも由緒ある馬場大門けやき並木が貴重な文化遺産として、人と環境にやさしい活力にみちたまち、水と緑が似合う府中市のシンボルとして、市民の皆様に末永く親しまれることをねがうものであります。

平成7年4月吉日
府中市長 吉野 和男