2014-05-09

鮭のムニエルとマカロニサラダ と 牛肉と野菜の焼き肉風炒めときゅうりとわかめの酢の物

今週のお料理
5月8日と9日です。

まず5月8日から。
この日は二日分の料理を作りました。

本当は7日の分。

鮭のムニエルとマカロニサラダ

段取り的に間からのサラダから始めますよ。
まず何と言ってもマカロニを茹でなくてはなりません。
8分茹でます。
その間に野菜の準備です。
にんじんを少し銀杏切。
玉ねぎも少し薄切り。
ロースハムを小さく切って。

茹でたマカロニの粗熱が取れたら野菜と合わせます。
ここでレシピではマヨネーズと塩コショウですが、これ以外にフレンチドレッシングを掛けますよ。

鮭は水けを拭いて塩コショウです。
そのあとで小麦粉を全体に。

これをフライパンで焼きますが、その前に付け合わせの玉ねぎとピーマンとにんじんを炒めておきます。
炒め終わったらフライパンをきれいに拭いてこれから鮭を焼きます。油は多くてもいいです。
綺麗に全体を焼きます。最初は皮のほうからです。

大体焼けたら余分な脂を拭きとってバターを溶かします。
これで風味つけします。

まあこんなところか。


今度は8日の分。
牛肉と野菜の焼き肉風炒めときゅうりとわかめの酢の物

先にきゅうりの準備。
切り方は自由。今回は薄切りにしました。
切れたら塩をまぶします。
わかめは国産のものを水で戻しておきます。

牛肉のほう。

牛肉は塩コショウをまぶして揉み込です。
かぼちゃをレンジで熱を通して小さなくしかたに切ります。
ヤングコーンを斜め切り。
しめじを小房に分けて。

油を熱したフライパンでかぼちゃに焼き目をつけ取り出します。
油を足して牛肉を炒めます。
次にしめじ、ヤングコーンを加えて炒め合わせ。
大体できたらかぼちゃを戻し入れです。
仕上げに焼き肉のたれを全体に合わせます。

きゅうりを水で少し洗い絞ります。
水切りしたわかめと一緒に盛り付け、すし酢を掛けて出来上がり。







2014-05-03

今日の料理 2014-05-03 チキンカツと ベーコン、サツマイモと玉ねぎの炒め物

今日の料理 2014-05-03
チキンカツと ベーコン、サツマイモと玉ねぎの炒め物

ベーコンをバターでいため、棒状に切ったサツマイモを電子レンジで少し調理して一緒に炒めます。玉ねぎもね。
最後にクルミ、しょうゆとマスタードを入れて出来上がり。

チキンカツの付け合わせはキャベツの細切りです。




今日の散歩 2014-05-03 茅場町から最後は東京駅グランルーフ

今日の散歩 2014-05-03
茅場町から最後は東京駅グランルーフ

東銀座 新橋演舞場 築地本願寺 聖路加国際病院などを巡りました。

写真などはこちらで
http://op125d.blogspot.com/2014/05/blog-post_2997.html

http://op125d.blogspot.com/2014/05/blog-post_3645.html





明石町 聖路加の近くに 浅野内匠頭邸跡 と 芥川龍之介生誕地があります。

明石町 聖路加の近くに 浅野内匠頭邸跡 と 芥川龍之介生誕地があります。
There is Ryunosuke Akutagawa Birthplace and Asanotakuminokami's Palace near the Akashi-cho, St. Luke's.

浅野内匠頭邸跡

 常陸笠間(茨城県笠間市)藩主 浅野長直(1610-72)は、天保2年(1645)、播磨赤穂(兵庫県赤穂市)に領地替えとなり、5万3500石を領して内匠頭と称しました。子の長友の代に分与して5万石となります。

 ここから北西の聖路加国際病院と河岸地を含む一帯9800余坪の」地は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、西南二面は築地川に面していました。

 忠臣蔵で名高い浅野内匠頭長矩(1665-1701)は、長友の子で、元禄14年(1701)
、勅使の接待役に推されましたが、3月14日、その指南役であった吉良上野介義央を江戸城中で刃傷に及び、即日、切腹を命ぜられました。この江戸屋敷及び領地などは取り上げられ、赤穂藩主浅野家は断絶しました。

平成7年3月 中央区教育委員会



芥川龍之介生誕の地

 明治16年(1883)ごろ、この付近(当時の京橋区入船町8丁目1)に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家 芥川龍之介(1892-1927)は、明治25年3月1日、その経営者 新原敏三の長男として、ここに生れました。

 龍之介は誕生後七か月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、本所小泉町(現、墨田区両国3丁目)に移り、12歳の時、芥川家の養子になりました。

 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石の門に入り」、『地獄変』、『羅生門』、『河童』、『或阿呆の一生』など、多くの作品を遺しましたが、昭和2年7月24日、35歳で自害しています。

平成8年3月 中央区教育委員会








立教学院発祥の地   トイスラー記念館     アメリカ公使館跡石標  日野原重明先生100歳記念植樹

明石町

聖路加国際病院は有名ですね。その敷地内にこの三つのものがあります。

立教学院発祥の地
トイスラー記念館
アメリカ公使館跡石標

 立教学院発祥の地




トイスラー記念館 

 昭和8年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師師館として建設されました。
 設計者は米国人建築家のJ.V.W.バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。
 平成元年に解体工事が行われ、平成10年2月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創建当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。
 外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンンバー風の意匠です。室内はチューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装が見られます。
 この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。

 平成18年3月 中央区教育委員会







アメリカ公使館跡 石標

アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1-6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、初めて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在のアメリカ大使館となっている。

最後の移転により、この地には8この小松石の石標が残された。石標には、白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施された13の星は同国初期の13州を示す。

8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されておりうち3個をここに、2個を聖路加ガーデンに設置す。

1998年5月 聖路加国際病院









日野原重明先生100歳記念植樹
樹木名 エドヒガン(江戸彼岸)
平成23年10月4日
 名前の通り春の彼岸頃に開花するサクラの中ではヤマザクラと共に長寿であり、樹齢2000年を超えるものもあります。
 また、花を多く咲かせる特性から、多くの品種の母種として広く使われています。