旧笹井家住宅
この町家は江戸時代中頃に建築されたもので、昭和47年9月12日、高槻市指定文化財の建造物第1号に指定されました。元の所在地は高槻城下の西北に当たる高槻町(旧紺屋町)です。
解説はこちらで (高槻市HP)
2015-11-30
陸軍工兵 第4連隊 営門跡
陸軍工兵 第4連隊 営門跡
ここは 元工兵第四連隊(中部第29部隊)の営門であります。
兵舎は、明治42年より昭和20年まで存在しました。現在は改築されて学校、公園等に利用されております。
かつて在隊当時は多くの兵士を育成し、地域の防災に努め、人命救助に協力しました。
さきの第二次世界大戦においては、大陸戦線へあるいは太平洋戦域へと幾多の兵士が出動して帰らぬ人も多数ありました。
この営門は、終戦50年にあたり、かこの悲惨な戦争を再び繰り返す事のないように、高槻市民の平和モニュメントとして保存するものであります。
平成7年8月
元工兵第四連隊記念碑建立委員会
高槻市
ここは 元工兵第四連隊(中部第29部隊)の営門であります。
兵舎は、明治42年より昭和20年まで存在しました。現在は改築されて学校、公園等に利用されております。
かつて在隊当時は多くの兵士を育成し、地域の防災に努め、人命救助に協力しました。
さきの第二次世界大戦においては、大陸戦線へあるいは太平洋戦域へと幾多の兵士が出動して帰らぬ人も多数ありました。
この営門は、終戦50年にあたり、かこの悲惨な戦争を再び繰り返す事のないように、高槻市民の平和モニュメントとして保存するものであります。
平成7年8月
元工兵第四連隊記念碑建立委員会
高槻市
2015-09-11
松浦武四郎翁の像
松浦武四郎翁の像
北海道の名付け親 松浦武四郎翁は、 文政元年(1818)伊勢国川村(現 三重県三雲町)に代々郷士であった松浦家の四子として生まれる。
翁は27歳の春、蝦夷地探検を発起以来6度に渡り蝦夷地を案内のアイヌの人々と踏査し、詳細で実情をあますところなく書き記された地図・絵図・記録は高く評価され、探検家・研究者として、その功績は偉大である。
翁の身長は4尺8寸(1m45cm)、足の大きさは24cmと小柄ながら、その旺盛な精力と知識欲により未開の荒野を踏査・探検し、当地へも4度に渡って訪れ、鰊漁場の賑わいをきわめた往時の鬼鹿の歴史を詩に残している。
松浦武四郎は、社会科学史上・文化史上に輝く燦然たる偉人であるとともに北海道の史実を証するものとして、今もなお道民の心のなかに生き続けている。
名にも似ず すがたやさしき女郎花 なまめき立てる おにしかの里 松浦武四郎
北海道の名付け親 松浦武四郎翁は、 文政元年(1818)伊勢国川村(現 三重県三雲町)に代々郷士であった松浦家の四子として生まれる。
翁は27歳の春、蝦夷地探検を発起以来6度に渡り蝦夷地を案内のアイヌの人々と踏査し、詳細で実情をあますところなく書き記された地図・絵図・記録は高く評価され、探検家・研究者として、その功績は偉大である。
翁の身長は4尺8寸(1m45cm)、足の大きさは24cmと小柄ながら、その旺盛な精力と知識欲により未開の荒野を踏査・探検し、当地へも4度に渡って訪れ、鰊漁場の賑わいをきわめた往時の鬼鹿の歴史を詩に残している。
松浦武四郎は、社会科学史上・文化史上に輝く燦然たる偉人であるとともに北海道の史実を証するものとして、今もなお道民の心のなかに生き続けている。
名にも似ず すがたやさしき女郎花 なまめき立てる おにしかの里 松浦武四郎
鬼鹿
小平鰊番屋 鰊文化歴史公園
場所:
日本, 北海道留萌郡小平町
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