2015-04-29

東京駅5番6番ホーム

東京駅5番6番ホーム

有名な100年柱のホームです。2015年4月18日撮影

(朝日新聞記事)東京駅開業時の「100年柱」撤去 5・6番線ホーム



















南高橋(みなみたかはし)

南高橋(みなみたかはし)

所在地 東京都中央区新川2丁目 湊1丁目 (亀島川)

 創架年代は、昭和6年(1931年)に起工、同7年3月に竣工。

 現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみでした。大正12年(1953年)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整理が行われた時に当時の本湊町と対岸の越前堀1丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。

 東京市は、多くの橋を改架したため、予算も乏しくなりました。そのため明治37年(1904年)に改架され、大震災で損害を受けた隅田川の両国橋の三連トラスの中央部を補強し、橋幅を狭めて南高橋として架設したものです。

 都内において、珍しくも明治37年のトラス橋の一部が現在に残ることとなり、その意味でも近代の土木遺産として貴重です。都内に残る鋼鉄トラス橋としては江東区に移転した八幡橋(旧弾正橋)についで2番めに古く、車両通行可能な鋼鉄トラス橋としては全国で6番目に古い橋梁になります。区民有形文化財に登録されています。

平成14年3月 中央区教育委員会






史蹟 運上所跡 東京税関発祥の地

史蹟 運上所跡 東京税関発祥の地

 江戸幕府は、慶応3年(1867年)に、江戸築地鉄砲洲明石町の一帯を外国人居留地と定め、この地に税関業務等を行う運上所を設置しました。

 これが、東京税関の始まりです。



電信創業之地

電信創業之地

東京電信局跡
明治2年12月25日開始
紀元2600年
逓信省

電信創業記念碑の由来

 明治2年9圧19日(太陽暦10月23日)横浜裁判所と東京築地運上所内に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32キロメートルの電信線架設工事が開始され、同年12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電気通信の最初である。

 この記念碑は、先駆者の業績を後世に伝えるため、昭和15年に建立されたもので、昭和53年、南南東約40メートルの地点から当地へ移設されたものである。






月島の渡し跡


月島の渡し跡

所在地 東京都中央区築地7丁目18番地 明石町14番 地域

 「月島の渡し」は、月島1号地の埋め立てが完成して間もない明治25年(1892年)11月、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現在の築地7丁目18番)から月島(現在の月島3丁目24番)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船を開始したことに始まります。

 明治34年(1901年)、月島への交通の重要性を考慮した東京市が渡船の市営化を決め、翌37年に汽船曳舟2隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となりました。明治44年には、臨海工業地帯へと発展した月島への乗客増加に対応するため、徹夜渡船も開始されました。

 月島の渡しの渡船場は、当初、明石橋橋詰の南飯田町にありましたが、東京市に移管されて運営が開始される明治35年以降は、明石町(現在の明石町14番)に渡船場を移設し、大いに利用されてきました。

 昭和15年(1940年)に勝鬨橋が架橋されたことにより、渡船の運行に終止符が打たれましたが、明治から昭和にいたるまで住民や工場へ通う人々の重要な交通機関として活躍しました。

 月島の渡しは、月島工業地帯の発展、ひいては日本の近代化に寄与した渡船として語り継がれています。

平成20年3月 中央区教育委員会