2014-08-02

宇宙博 SPACE EXPO 2014

宇宙博 SPACE EXPO 2014

2014年8月2日土曜日に行ってきました。とても暑い日でした。

宇宙開発の歴史と
現在の国際宇宙ステーション、火星探査
今後の計画など 

はやぶさのカプセルもあります。

会場写真   Youtube     Google+





夢の超特急展

夢の超特急展
The Shinkansen

2014-07-23から2014-08-04まで 東京日本橋高島屋

入場券

新幹線の試験車両





0系 100系

300系 N700系







700系 パンタグラフ


0系 パンタグラフ

100系パンタグラフ

0系運転台



300系運転台


 300系 ブレーキ設定器内部

700系運転台















専修大学発祥の地

専修大学発祥の地

専修大学は 明治13年9月16日 ここ 東京市京橋区木挽町2丁目14番地に 経済及び法律の専修学校として発足したことに始まる。
創立者は 相馬水胤, 田尻稲次郎, 目賀田種太郎, 駒井重格の諸先達で 建学の精神は 社会に対する報恩奉仕であり 質実剛健, 誠実力行は学風である。



新富消防地蔵

新富消防地蔵

東京都中央区の歴史より

新富 消防地蔵尊 縁起
 昭和16年(1941)2月13日の深夜、この地に在った家具製作所から出火しました。
 折からの強風に煽られ、火は7棟・170余坪(567㎡)を焼尽くしました。猛火の中を、逃げ遅れた女子従業員を救出しに入った少年を含め、3名の若い命が失われました。
 翌17年(1942)4月、跡地に京橋消防署新富町出張所が設立され、地域防災の任にあたりました。
 然しながら、出勤した消防隊員に負傷者が続発したり、又「非番なのに望楼へこつこつと登る足音がする」とか「夜中に少女がさめざめと泣く声が聞こえる」などの噂が広まりました。
 昭和28年(1953)、消防署と協議し、町会役員・町内有志の発意と芳志により、此処に殉難者の鎮魂と地域の安全を祈願する(新富消防地蔵尊)が建立されました。
 以後、さしたる災害もなく、平成に入り、京橋消防署の新富町出張所はその任を終えましたが消防地蔵尊はそのまま存続し、昔を知るお年寄りの他、各種の願い事を祈願する人々の参詣も多く、今日に至っております。


Shintomi fire Jizo auspicious

Midnight of February 13, 1941, Furniture Manufactory became fire.
567㎡ was burned down by the strong winds. Including the boy who went to rescue the girls trapped employee, through the Inferno, the young lives of three people has been lost.

The following year, in April 1942, Kyobashi fire department Shintomicho branch office was established on the site.

However, rumor injured or secondary to firefighters was attendance, also "voice girl cry in the middle of the night can be heard" and "footsteps climb diligently to watchtower is but a off-duty" or was spread.

1953, people in the town are in consultation with the fire department, in order to pray for the safety of the community and requiem of martyrs who, Shintomi fire Jizo has been erected.

After that, no major disaster, Shintomicho branch of Kyobashi fire department has completed its appointment, but fire Jizo was survived intact.
Even now, in addition to the elderly to know the old days, pilgrimage of people who make a wish of various often.


吉良上野介邸跡

吉良上野介邸跡

すみだ観光サイトに次のようにあります。

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。