2014-04-28

古河市兵衛翁 像 Furukawa Ichibe old man was born in Kyoto Okazaki.

新しくできたビル(コレド室町2 coreedo muromachi)の傍らに古河市兵衛翁の像とプレートがあります。

古河市兵衛翁 像

古河市兵衛翁は天保三年(1832年)京都岡崎でうまれる
行商から身を興し明治八年鉱山経営に着手 その強靭な気根と不撓の行動力により幾多の困難を乗り越え「鉱山王」とよばれる 足尾銅山の発展を基盤として多角経営に進出 これが今日における古河グループ発展の基礎となる
この地は翁が明治十年住居兼古河本店としてその後二十年間事業の拠点とした発祥の地である

平成二十六年一月

Furukawa Ichibe was born in Kyoto Okazaki in 1832.
He caused the body from peddling. He set out to mine management in 1875. He was referred to as "mineral king" overcome many difficulties by acting power of inflexible and tough aerial roots. Was advanced to the diversified management as the foundation of the development Ashio copper mine. This is the basis for development in the Furukawa group today
He was used as a residence and Koga head office from 1834 to this land. It is the birthplace of the base of the business over the 20 years.





プリマ楽器

プリマ楽器 東日本橋のY字交差点にあります。

中学生の頃にここの楽器のお世話になりました。
そんな人多くない?



賀茂真淵県居の跡

金座通りと清洲橋通りの交差点にあるビルの外壁に埋め込まれています。


賀茂真淵県居の跡

東京都指定 大正7年4月
所在地    中央区日本橋浜町1-4付近

 古歌をとおして、わがが国の古典学の基礎を築いた賀茂真淵(1697-1769)は、現在の浜松市の出身で、はじめ京に下り、田安宗武(徳川三卿の一人)に迎えられ、和学を講じた。
 隠居後、浜町山伏井戸の東方に住み、県居の翁と称し、「万葉考」 「歌意考」 「国意考」 「祝詞考」等を著わした。また歌会なども多く開き、その作品は今に伝えられている。

あがた居の 芽生(ちふ)の露原かきわけて
 月見に来つる都人かも

 その旧宅は、この地点の北東約100メートルのあたりである。

平成元年 7月 中央区教育委員会