2014-08-07

銀座発祥の地

銀座発祥の地

慶長17年(紀元2272年、西暦1612年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ
明治2年に銀座を町名とする事に公示さる

昭和30年4月1日建之

銀座通聯合会

Tokugawa Shogunate, was installed Ginza office to perform the silver coinage in the year 1612.
Formal town name was new exchange town, aka was Ginza town.
It has been decided to Ginza and a formal town name after.




歩行距離 約2.3キロメートル


2014-08-05

古道具 琺瑯看板


古道具 琺瑯看板

大阪・住吉神社でもこんな昼店が出ていましたね。
小学生の頃、学校帰りによく眺めたものです。

不二家ミルキー
豊年天ぷら油
雪印バター
ユニオンビール

靖国神社境内にて 2014-08-03







2014-08-02

宇宙博 SPACE EXPO 2014

宇宙博 SPACE EXPO 2014

2014年8月2日土曜日に行ってきました。とても暑い日でした。

宇宙開発の歴史と
現在の国際宇宙ステーション、火星探査
今後の計画など 

はやぶさのカプセルもあります。

会場写真   Youtube     Google+





夢の超特急展

夢の超特急展
The Shinkansen

2014-07-23から2014-08-04まで 東京日本橋高島屋

入場券

新幹線の試験車両





0系 100系

300系 N700系







700系 パンタグラフ


0系 パンタグラフ

100系パンタグラフ

0系運転台



300系運転台


 300系 ブレーキ設定器内部

700系運転台















専修大学発祥の地

専修大学発祥の地

専修大学は 明治13年9月16日 ここ 東京市京橋区木挽町2丁目14番地に 経済及び法律の専修学校として発足したことに始まる。
創立者は 相馬水胤, 田尻稲次郎, 目賀田種太郎, 駒井重格の諸先達で 建学の精神は 社会に対する報恩奉仕であり 質実剛健, 誠実力行は学風である。



新富消防地蔵

新富消防地蔵

東京都中央区の歴史より

新富 消防地蔵尊 縁起
 昭和16年(1941)2月13日の深夜、この地に在った家具製作所から出火しました。
 折からの強風に煽られ、火は7棟・170余坪(567㎡)を焼尽くしました。猛火の中を、逃げ遅れた女子従業員を救出しに入った少年を含め、3名の若い命が失われました。
 翌17年(1942)4月、跡地に京橋消防署新富町出張所が設立され、地域防災の任にあたりました。
 然しながら、出勤した消防隊員に負傷者が続発したり、又「非番なのに望楼へこつこつと登る足音がする」とか「夜中に少女がさめざめと泣く声が聞こえる」などの噂が広まりました。
 昭和28年(1953)、消防署と協議し、町会役員・町内有志の発意と芳志により、此処に殉難者の鎮魂と地域の安全を祈願する(新富消防地蔵尊)が建立されました。
 以後、さしたる災害もなく、平成に入り、京橋消防署の新富町出張所はその任を終えましたが消防地蔵尊はそのまま存続し、昔を知るお年寄りの他、各種の願い事を祈願する人々の参詣も多く、今日に至っております。


Shintomi fire Jizo auspicious

Midnight of February 13, 1941, Furniture Manufactory became fire.
567㎡ was burned down by the strong winds. Including the boy who went to rescue the girls trapped employee, through the Inferno, the young lives of three people has been lost.

The following year, in April 1942, Kyobashi fire department Shintomicho branch office was established on the site.

However, rumor injured or secondary to firefighters was attendance, also "voice girl cry in the middle of the night can be heard" and "footsteps climb diligently to watchtower is but a off-duty" or was spread.

1953, people in the town are in consultation with the fire department, in order to pray for the safety of the community and requiem of martyrs who, Shintomi fire Jizo has been erected.

After that, no major disaster, Shintomicho branch of Kyobashi fire department has completed its appointment, but fire Jizo was survived intact.
Even now, in addition to the elderly to know the old days, pilgrimage of people who make a wish of various often.


吉良上野介邸跡

吉良上野介邸跡

すみだ観光サイトに次のようにあります。

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。













芥川龍之介 文学碑 「杜子春」

芥川龍之介 文学碑

東京都墨田区の歴史に次のようにあります。

 この文学碑は龍之介の代表作の一つである「杜子春」の一節を引用したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生感を学ぶ氏の文才を偲ぶものとして両国所学校創立百十五周年の記念事業として、平成2年(1990)10月に建立されたものです。

 芥川龍之介文学碑
「-お前はもう仙人になりたといふ望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。
ではお前はこれから後、何になったら好いと思ふな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)っていました。」
   「杜子春」より







勝海舟生誕の地

 勝海舟生誕の地

すみだ観光サイトには次のようにあります。

勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、ここ本所亀沢の父小吉の実家である男谷家に生まれました。初めの名は義邦、幼名麟太郎といいました。蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、安政7年(1860)1月、咸臨丸艦長として邦人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげました。慶応4年(1868)3月、高輪の薩摩藩邸において西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城に成功し、江戸市民を戦禍から救いました。明治政府にも重用され、参謀兼海軍卿・元老院議官などになり伯爵となりました。