2014-05-03

明石町 聖路加の近くに 浅野内匠頭邸跡 と 芥川龍之介生誕地があります。

明石町 聖路加の近くに 浅野内匠頭邸跡 と 芥川龍之介生誕地があります。
There is Ryunosuke Akutagawa Birthplace and Asanotakuminokami's Palace near the Akashi-cho, St. Luke's.

浅野内匠頭邸跡

 常陸笠間(茨城県笠間市)藩主 浅野長直(1610-72)は、天保2年(1645)、播磨赤穂(兵庫県赤穂市)に領地替えとなり、5万3500石を領して内匠頭と称しました。子の長友の代に分与して5万石となります。

 ここから北西の聖路加国際病院と河岸地を含む一帯9800余坪の」地は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、西南二面は築地川に面していました。

 忠臣蔵で名高い浅野内匠頭長矩(1665-1701)は、長友の子で、元禄14年(1701)
、勅使の接待役に推されましたが、3月14日、その指南役であった吉良上野介義央を江戸城中で刃傷に及び、即日、切腹を命ぜられました。この江戸屋敷及び領地などは取り上げられ、赤穂藩主浅野家は断絶しました。

平成7年3月 中央区教育委員会



芥川龍之介生誕の地

 明治16年(1883)ごろ、この付近(当時の京橋区入船町8丁目1)に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家 芥川龍之介(1892-1927)は、明治25年3月1日、その経営者 新原敏三の長男として、ここに生れました。

 龍之介は誕生後七か月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、本所小泉町(現、墨田区両国3丁目)に移り、12歳の時、芥川家の養子になりました。

 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石の門に入り」、『地獄変』、『羅生門』、『河童』、『或阿呆の一生』など、多くの作品を遺しましたが、昭和2年7月24日、35歳で自害しています。

平成8年3月 中央区教育委員会








立教学院発祥の地   トイスラー記念館     アメリカ公使館跡石標  日野原重明先生100歳記念植樹

明石町

聖路加国際病院は有名ですね。その敷地内にこの三つのものがあります。

立教学院発祥の地
トイスラー記念館
アメリカ公使館跡石標

 立教学院発祥の地




トイスラー記念館 

 昭和8年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師師館として建設されました。
 設計者は米国人建築家のJ.V.W.バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。
 平成元年に解体工事が行われ、平成10年2月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創建当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。
 外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンンバー風の意匠です。室内はチューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装が見られます。
 この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。

 平成18年3月 中央区教育委員会







アメリカ公使館跡 石標

アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1-6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、初めて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在のアメリカ大使館となっている。

最後の移転により、この地には8この小松石の石標が残された。石標には、白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施された13の星は同国初期の13州を示す。

8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されておりうち3個をここに、2個を聖路加ガーデンに設置す。

1998年5月 聖路加国際病院









日野原重明先生100歳記念植樹
樹木名 エドヒガン(江戸彼岸)
平成23年10月4日
 名前の通り春の彼岸頃に開花するサクラの中ではヤマザクラと共に長寿であり、樹齢2000年を超えるものもあります。
 また、花を多く咲かせる特性から、多くの品種の母種として広く使われています。







2014-05-02

夕方の散歩 2014-05-02 室町4から門前仲町まで 約3キロ

夕方の散歩 2014-05-02 室町4から門前仲町まで 約3キロ


朝の散歩 2014-05-02 門前仲町-永代橋-八丁堀-京橋-日本橋 

朝の散歩 2014-05-02 門前仲町-永代橋-八丁堀-京橋-日本橋 

日本国重要文化財 永代橋 http://op125d.blogspot.com/2014/05/blog-post.html


日本国重要文化財 永代橋 

日本国重要文化財 永代橋 

(諸元)
橋長 184.7メートル
幅員 25.6メートル
上部工 鋼製三径間カンチレバー式タイドアーチ橋

(所有者)
東京都

(指定年月日)
平成19年6月18日 指定(建第2501号)

(指定の意義)
 永代橋は、関東大震災復興事業によって建造されれた大正15年(1926年)12月に竣功した。
 永代橋の特筆すべき点として、上部構造は橋端部に水平力の及ばないライズ比7分の1の下路式タイドアーチで、リブに鋼板を充腹して剛性を高めたソリッドリブアーチ端部を高張力マンガン鋼のデュコール鋼を使ったアイバーで連結したアーチと、箱型板桁の突鋼及び吊桁からなる構造である。放物線状の大規模アーチを中心として、桁高を巧みに変化させた荘重な造形により、力学的合理性に基づく近代的橋梁美を実現した橋梁である。
 下部構造は鉄筋コンクリート造で固定式空気潜函工法を用いた橋脚二基と、締切工法による橋台二基からなる。
 建造工事は、内務省復興局が施工し、後に東京市に引き継がれた。設計者は、内務省復興局土木部長太田園三及び同技師田中豊の指導のもと、どう技師竹中喜忠らである。