2014-12-24

札の辻橋

「札の辻橋は、昭和8年(1933年)地域の交通を結ぶ橋として架けられましたが、平成16年(2004年)に現在の橋に生まれ変わりました。

このモニュメントは当時の橋で使われた石や橋名板を再利用してい造られたものです。」

(札の辻橋は、JR田町駅の品川駅側に架かる跨線橋です。)



















品川駅に向かう東海道新幹線

C62形蒸気機関車の動輪 鉄道100年に完成した東京地下駅に設置

C62形蒸気機関車

最大寸法 長さ 21.475M 幅 2.936M 高さ4.005M 重量 積143.07t 空97.75t

”みなさんの足”として親しまれてきた国鉄は、今年で創業100年を迎えました。蒸気機関車は、この歴史とともに歩んできました。第二次世界大戦で戦災を受けた東京駅が修復された昭和23年に、これと時を同じくして誕生したC62形蒸気機関車は、日本復興のエースとして活躍し、世界最高の時速129キロをきろくするなど、技術の粋をあつめた”栄光の名機”とうたわれました。
 このC6215号機は、東海道、山陽、函館本線などを駆けめぐり、昭和46年12月解体されるまで、約263万キロ(地球を65.7周)を走り続けました。”鉄道100年”に完成した東京地下駅に、同機の動輪をかざり、その歴史をたたえることとしました。

昭和47年7月15日

日本国有鉄道

Wikipedia 国鉄C62形蒸気機関車









2014-12-09

道標 大山道(おおやまみち)

道標 大山道

大山道(おおやまみち)は、矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分かれ道にあった石橋楼(三権茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。

大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化・文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。

この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピックの道路の拡幅などにより点々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元の位置近くに復された。





2014-11-30

有楽大黒


有楽大黒


「有楽大黒の御縁起」


 この大黒様は大江戸の守護神である山王日枝神社の神木によって、大分出身の平野米一氏が昭和初年に謹彫され、当時駅前の「亀八」寿司の主人が秘蔵し、朝夕拝礼して居られました。

 第二次大戦の末期、空襲をさけて駅長に贈られ、やがて中央改札口に守護神として鎮座されましたが、このがび日枝神社宮司様の奉仕で鎮座式を執行し、当所に末永く祀られる事になりました。大黒様は古来、福徳円満諸願成就の神、特に飲食を司り、商売繁昌の神として信仰が厚く、ご通行の皆様の安全、幸福をお守りいただく霊験あらたかな神様です。

昭和56年 春 有楽町駅長





















2014-11-20

「放送記念碑」 わが国最初の放送電波が発せられたゆかりの地

(JR田町駅芝浦口)

「放送記念碑」

 ここは大正14年3月22日 わが国最初の放送電波が発せられたゆかりの地です。

 東京放送局が、当時ここにあった東京高等工芸学校の図書室を仮放送所としてラジオ第一声を送り出しました。

 この放送発祥の地に、放送開始30周年を記念して「放送記念碑」を建立したものです。

日本放送協会


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東京高等工芸学校の沿革

 本校は大正10年12月この地に創立されました。戦時下の昭和19年3月に東京工業専門学校と改称され、昭和20年5月戦災による校舎焼失のため、同年10月千葉県松戸市に移転いたしました。昭和24年5月学制改革により千葉大学工芸学部として発足し、同26年4月工学部に改組され、同39年7月千葉市に移転し今日に至っております。

 平成3年12月 創立70周年を記念し、こゝに沿革をかかげました。

平成4年7月吉日 千葉大学工学部 千葉大学工学同窓会