千石稲荷大明神
長野市南石堂町
千石稲荷神社の由来
抑抑(そもそも)、古くは善光寺平に農耕が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和15年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。
千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、千石町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。
千石稲荷は農耕、商いのかみとして有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健康)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。
昔より、千石とは、収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。
(紀元貮千六百年奉賛会の記録より)
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