2015-02-07

旧芝給水所の遺構 と 芝給水所の歴史


旧芝給水所の遺構

これらの遺構(保存施設)は、明治31年旧給水所で施設の一部として実際に使用されていたもので、近代水道の建設に従事した当時の関係者の情熱や技術力を後世に伝えるため保存しています。

芝給水所の歴史

 芝給水所は、芝増上寺の北西部の高台に位置し、信濃小諸藩主 牧野遠江守康済の屋敷跡地に、芝給水工場として明治29年(1896年)8月に竣功、明治31年12月に淀橋浄水場から浄水を受け給水を開始しました。

 この給水所は、淀橋浄水場、本郷給水工場と共に、東京近代水道の始まりとなった施設で、その後約100年にわたり、関東大震災や戦災に見舞われながらも、東京都民の暮らしに欠かせない水を送り続けてきました。

 旧芝給水所は煉瓦造りであり、東京における近代水道創設当時の高い土木技術を物語る文化的・技術的遺産です。

 芝給水所を改築するに当たり、先人の偉業を称え、旧芝給水所の一部を保存し後世に伝えるものです。

平成14年2月 東京都水道局

History of Shiba water stations








横浜市開港記念会館(国指定重要文化財) 横浜町会所跡 岡倉天心生誕の地

横浜市開港記念会館(国指定重要文化財) 横浜町会所跡 岡倉天心生誕の地






横浜市開港記念会館(国指定重要文化財)

 横浜市開港記念会館は、開港50周年を記念して、大正3年(1914年)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜会館」として開館しました。

 建物は、大正12年の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ創建当時の姿に復元されました。

 建物の外観は、腰石まで花崗岩積で、1・2階は赤い化粧煉瓦と白い花崗岩を積み上げた辰野式フリークラシックスタイルで、古典主義を自由にアレンジしています。東南隅には高塔(時計塔)、西南隅に八角ドーム、さらに高騰を挟む位置にも角ドームを作り、屋根は寄棟造り・天然スレート葺で、越屋根は銅板葺きとしています。また、建物内部の広間、中庭に面する窓にはステンドグラスが用いられるなど、大正期の建物として華やかで優れた意匠が施されています。

横浜市教育委員会文化財課 
社団法人横浜国際観光協会







横浜町会所跡

 この地に、明治7年(1874年)4月に竣功した石造2階建て屋上に高塔のある建物は、横浜市施行の明治22年まで横浜の町政を執った町会所でした。「時計台」の愛称で親しまれ、横浜の名所となっていました。明治23年横浜貿易商組合会館と改称し、その後横浜会館と改めましたが、明治39年12月類焼により焼失いたしました。跡地に開校50年を記念して現在の建物が大正6年竣工いたしました。

 また、この地は開港期より明治初年まで、岡倉天心の父 勘右衛門が支配人をしていた石川屋(越前藩(福井県)の生糸売込店)があったところです。









2015-02-06

英一番館 と 桑の森


英一番館

 安政6年6月2日(1959.7.1)横浜が開港した。イギリス人、ウイリアム・ケズウィックは、開港と同時に帆船で横浜に来航し、居留地一番館において貿易を始めた。この建物は、ジャーディン・マセソン商会と称したが、当時の人々が「英一番館」と呼んでいたのは、この地点である。






インド水塔

インド水塔

 関東大震災の際に、横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた返礼として、インド商組合から寄贈されたものです。

 華麗なモザイク模様のドームのイスラーム建築をはじめ、その意匠は様々な要素がたくさん組み合わされています。


The Drinking Fpuntain

Presented to the City of Yokohama.

In Memory of  Our Countrymen

Lost in Earthquake, September 1, 1923.

The Indian Community.










横浜新梁

横浜新梁

横浜市認定歴史的建造物

建造年 1912年 大正元年
設計者 大蔵省臨時建築部





横浜 赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫

 赤レンガ倉庫は、東洋で初めて築造された近代ふ頭である「新港ふ頭」に、輸出入される貨物を税関が管理する倉庫として、国(大蔵省)によって建設されたもので、耐震・耐火構造を採用した当時最新鋭の倉庫でした。

 創建時から戦前までは横浜税関が管理し、葉煙草、羊毛、光学機器などの輸入品を取り扱っていましたが、戦時中は陸海軍の輸送司令部が管理し、戦後は米軍の港湾司令部として使用されました。米軍の接収解除後は、1号倉庫を横浜税関が、2号倉庫を横浜市が、それぞれ管理していました。

 しかし、海上貨物のコンテナ化とともに次第に取扱量が減少し、平成元年に倉庫としての用途が廃止されました。

 横浜市では、この赤レンガ倉庫を、貴重な歴史的建造物として保存し、「港の賑わいと文化を創造する空間」として活用するため、平成4年に国から取得し、保存・活用工事を進め、平成14年4月に商業・文化施設としてオープンしました。











2015-02-05

和をのぞむ

和をのぞむ

 太平洋戦争の末期、昭和20年5月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。
 
 表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。

 戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。

 港区政60周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。

平成19年1月 港区赤坂移築総合支所 区政60周年記念事業実行委員会