2021-03-31

雷神山 児童遊園

 雷神山 児童遊園


雷神山の由来

應徳年間(1084-1087)疫病流行の折、これを鎮めるため雷神を祀った雷(いかずち)神社が建てられた。以来この土地は雷神山と呼ばれ、病気平癒を祈願して多くの人々が参拝するようになったという。戦後、氷川神社に合祀され児童遊園として生まれ変わった現在雷神山の地名と参道の桜並木にその名残を留めている。










2019-04-27

総理大臣官邸敷地の沿革

総理大臣官邸敷地の沿革

 この敷地は、武蔵野台地の東縁部に位置し、眼下には近代の初めまで溜池が広がり、近世中期には風光明媚な池として人々の憩いの景観となっていたといわれています。また、縄文時代から近世に至るさまざまな時代における人々の営みがあったことが、敷地内で痕跡として確認されています。17世紀後半には敷地内は南北に二分割され、北側には旗本屋敷があり、その後信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷と移り変わります。一方、南側は越後村上藩内藤家中屋敷でした。明治維新後、敷地は一橋徳川家の居宅として使用され、明治3年に鍋島家の所有となります。明治25年に完成したれんが造りの洋館は大正12年9月の関東大震災により大きな被害を受け、その後復興局へ売却されています。大正15年、震災復興に伴う中央諸官衛計画の一環として、麹町区永田町二丁目一番地旧鍋島邸跡地に総理大臣官邸を新営することとなりました。官邸は昭和4年に完成しましたが、当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていました。その後、官邸の老朽化、狭隘化が顕著となってきたことなどから、昭和62年、閣議了解により、従来の官邸敷地及びその西隣一帯の区域に新たな総理大臣官邸を整備することになりました。新官邸は平成14年に、また、旧官邸を改修した総理大臣新公邸は平成17年に完成し、現在に至っています。

平成17年10月         
                 設置:総理大臣官邸
                 監修:千代田区教育委員会






赤木正雄博士の像

赤木正雄博士の像

文化勲章受章文化功労者農学博士赤木正雄君は兵庫県豊岡の人である 第一高等学校に学び新渡戸稲造博士の言に感じて志を砂防に立て 爾来官にあっては初代内務省第3技術課長とし 出でては全国治水砂防協会の創立者として現在まで60有餘年君の歩んだ途は砂防の一路である わが国の砂防は君により初めて方途が確立し 国会議員としての君の発言は砂防を国政に重からしめた 今回全国治水砂防協会員の総意により君の建設した砂防会館の前に寿像を立て以て君の志を後世に伝えんとするものである

昭和46年12月2日
全国治水砂防協会長 田中角栄






溜池発祥の碑

溜池発祥の碑

 溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備を兼ねた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には鯉、鮒を放し蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられ、江戸後期には日枝神社より赤坂4丁目に通じる料金を取った銭取橋が架設され「麦とろ家」数軒と出店で、にぎわったと伝われる。
 
 明治8年より埋め立てに着手し44年に完成したが、明治21年12月には赤坂溜池町が創立され、明治42年に市電が開通し、大正10年5月に正式な町会として溜池町会が発足し、溜池角の小松ビルは元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り東京オリンピック以後はビル街として発展し、町会名も「赤坂溜池町会」と改称し今日に到り、地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした。(赤坂溜池町会・文責)

平成9年8月吉日 東京都 港区