2014-08-02

吉良上野介邸跡

吉良上野介邸跡

すみだ観光サイトに次のようにあります。

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。













芥川龍之介 文学碑 「杜子春」

芥川龍之介 文学碑

東京都墨田区の歴史に次のようにあります。

 この文学碑は龍之介の代表作の一つである「杜子春」の一節を引用したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生感を学ぶ氏の文才を偲ぶものとして両国所学校創立百十五周年の記念事業として、平成2年(1990)10月に建立されたものです。

 芥川龍之介文学碑
「-お前はもう仙人になりたといふ望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。
ではお前はこれから後、何になったら好いと思ふな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)っていました。」
   「杜子春」より







勝海舟生誕の地

 勝海舟生誕の地

すみだ観光サイトには次のようにあります。

勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、ここ本所亀沢の父小吉の実家である男谷家に生まれました。初めの名は義邦、幼名麟太郎といいました。蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、安政7年(1860)1月、咸臨丸艦長として邦人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげました。慶応4年(1868)3月、高輪の薩摩藩邸において西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城に成功し、江戸市民を戦禍から救いました。明治政府にも重用され、参謀兼海軍卿・元老院議官などになり伯爵となりました。






2014-08-01

採茶庵(さいと あん)跡

採茶庵(さいと あん)跡

元禄2年 芭蕉の「奥の細道」の旅はこの採茶庵から出点した。
東京都江東区の歴史より)





のらくろの町 森下 ゲルニカも?

のらくろの町 森下 ゲルニカも?

ウィキペディア


漫画『のらくろ』で有名な田河水泡の業績を後世に残す目的で、1999年11月に開館した。江東区の多機能型文化ホール・森下文化センターの1階にある。(ウィキペディアから引用)

















ゲルニカもあるのですが。