2016-10-24

備後護国神社内の「宮本武蔵腰掛石の由来」

備後護国神社内の「宮本武蔵腰掛石の由来」




 元和元年(1615年)大阪夏の陣において、武蔵は、三河刈谷三万石城主水野日向守勝成の陣に属し参陣する。寛永年中(1624年から1629年)武蔵は福山城に勝成を訪う。武蔵の養子三木之助は水野家中、中川志摩之助の三男なり。水野家二番家老中山将監は、大阪陣中におけるよしみにより、武蔵を自邸において饗應。その時、武蔵が将監屋敷庭園の庭石に腰を掛けたのが、武蔵腰掛石として伝承されていた。

 水野氏断絶改易となり、阿部氏入封、それ以後将監屋敷は、阿部家第二家老下宮氏の屋敷となる。明治4年廃藩後、下宮氏はこの屋敷を引き拂うにあたり、この石の由緒によりこれを阿部神社に寄進したものである。

原文 平井隆夫 鷹の羽会





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