2015-03-07

鉄道唱歌の碑 JR新橋駅汐留口

鉄道唱歌の碑

鉄道唱歌の作者大和田建樹先生は安政四年(一八五七)四月二十九日愛媛縣宇和島に生まる幼少國漢文に親しみ十五歳以降特に國学に志した明治七年十八歳の秋上京遊学十七年東京大学講師翌年高等師範学校教授二十四年辞任爾来又官任せず門を開いて歌文を教え地方に出講し行餘謡曲能舞を嗜む学は漢洋に亘り著述は辞典註釋詩歌随筆百五十冊を越えたが三十二年鉄道唱歌東海道山陽九州奥州線磐城線北陸地方關西参宮南海各線の五冊を連刊就中汽笛一声新橋をの一句で始まる東海道の部は普く世に流布して津々浦々に歌われ鉄道交通の普及宣傳に絶大の貢献をなした先生明治四十三年十月一日に没す享年五十四今年恰も生誕百年に當って先生の遺弟待宵舎同人の発起により東海道鉄道唱歌にゆかり深い新橋驛構内に碑を建て永く先生を記念する 昭和三十二年十月安倍能成




汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として



D51機関車の動輪
D51機関車は1936年(昭和11年)に誕生した機関車です。10年間で1115両と、日本のSLでは一形式で最多の両数が製造され、戦前、・戦後を通じて全国各地で、主に貨物用として活躍しました。「デゴイチ」などの愛称で親しまれ、蒸気機関車の代名詞にもなり、1975年(昭和50年)のSL最後の運転まで重用され、使命を全うしました。展示されている動輪は、1976年(昭和51年)の総武・横須賀線乗り入れ記念として、北海道の札幌鉄道管理局から譲り受け、鉄道発祥の地である新橋駅に設置したものです。

鉄道唱歌の碑
1957年(昭和32年)10月4日の鉄道開通85周年記念日に鉄道唱歌の作詞家、大和田建樹生誕100年を記念して新橋駅に建立されました。鉄道唱歌は、長い間私たちのために働いた鉄道を称えるだけでなく、明治時代の文学者大和田建樹自身が実際に汽車に乗ってつぶさに日本国内を旅行した見聞録です。



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