見覚えのある後姿。どこかで見た人?
日本橋室町3丁目交差点付近の福島のアンテナショップ前。
2014-04-17
国立衛生試験所発祥の地
国立衛生試験所発祥の地 (神田和泉町)
「国立衛生研究所は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、明治7年(1874年)3月、現在の中央区 に発足し同年八月この地、千代田区神田和泉町二番地で本格的業務を開始した。昭和二十年(1945年)三月の東京大空襲に罹災するまで七十年あまり、医薬品を主とする日本の厚生行政に多大な貢献をしてきた。現在は、世田谷区上用賀において引き続き研究業務を行っている。
本年、創立百二十周年を迎え茲に記念碑を設置するものである。」
平成六年十一月 建立 国立衛生試験所
2014-04-16
安井誠一郎像
安井誠一郎像
正三位勲一等東京都名誉都民 安井誠一郎君
昭和乙酉の戦災に逢い灰燼に帰しが東京 今や殷賑を極め無限に膨張発展してやまない東京 この東京を語る時 われわれは常に君を憶い出さずにはいられない
君は岡山県の生まれ 東京帝国大学卒業後官界に入り要職を歴任したが 終戦直後東京都長官ににんぜられさらに昭和22年以来実に12年の長きにわたって 公選知事をつとめられた 首都圏酵素の樹立 太平洋市長会議の実現 オリンピック東京大会の招致など君の業績は数えきれないが 就中 廃墟と化した首都東京を 敗戦後の想像を絶する苦難の中で 見事復興させた努力と才腕と誠意とは 永〇に忘れることができない
いま 君が生前最後の偉業となった東京文化会館の一隅にこの像を立て君の偉業を偲び 永く記念するは都民の心である
東京都知事 東 龍太郎
正三位だったら柿ノ本人麿と同じ。おおきみつおくらい。
正三位勲一等東京都名誉都民 安井誠一郎君
昭和乙酉の戦災に逢い灰燼に帰しが東京 今や殷賑を極め無限に膨張発展してやまない東京 この東京を語る時 われわれは常に君を憶い出さずにはいられない
君は岡山県の生まれ 東京帝国大学卒業後官界に入り要職を歴任したが 終戦直後東京都長官ににんぜられさらに昭和22年以来実に12年の長きにわたって 公選知事をつとめられた 首都圏酵素の樹立 太平洋市長会議の実現 オリンピック東京大会の招致など君の業績は数えきれないが 就中 廃墟と化した首都東京を 敗戦後の想像を絶する苦難の中で 見事復興させた努力と才腕と誠意とは 永〇に忘れることができない
いま 君が生前最後の偉業となった東京文化会館の一隅にこの像を立て君の偉業を偲び 永く記念するは都民の心である
東京都知事 東 龍太郎
正三位だったら柿ノ本人麿と同じ。おおきみつおくらい。
きょうの料理 豚しゃぶと 新じゃが
きょうの料理
豚しゃぶ
沸騰したお湯に酒を入れ豚肉を一枚一枚入れしゃぶしゃぶします。
ざく切りキャベツをサッと茹でて、ゆでたまごプチトマトと合わせて盛り付け。
新じゃが
よく洗い 皮をむかずに適当に切って水にさらして水気を切りましょう。
鍋にサラダオイルを熱しじゃがいもを入れ油が回ったら出汁と醤油砂糖みりんで調味。
落し蓋でゆっくり煮ます。最後にぶつ切りいんげんを入れましょう。
おしまい。
おまけ
今日は鯖の塩焼きをサービス。
完成です。
豚しゃぶ
沸騰したお湯に酒を入れ豚肉を一枚一枚入れしゃぶしゃぶします。
ざく切りキャベツをサッと茹でて、ゆでたまごプチトマトと合わせて盛り付け。
新じゃが
よく洗い 皮をむかずに適当に切って水にさらして水気を切りましょう。
鍋にサラダオイルを熱しじゃがいもを入れ油が回ったら出汁と醤油砂糖みりんで調味。
落し蓋でゆっくり煮ます。最後にぶつ切りいんげんを入れましょう。
おしまい。
おまけ
今日は鯖の塩焼きをサービス。
完成です。
金刀比羅宮と慈愛地蔵尊
金刀比羅宮 と 慈愛地蔵尊 清洲橋西詰
記念碑
「中洲は江戸時代隅田川の浮洲なりしを明治初年に埋め立てこの地に船玉琴平宮が祀られ産業振興の神として広く崇められたり しかし惜しくも大正12年関東大震災のために鳥有に帰し再建の機運に至らざりし処 湯浅勘次郎氏の夢枕が機縁となり 同志相諮り此の地を卜して四国琴平宮の御霊を遷座奉祀し広く繁栄の守護神として茲に神殿を建立奉る
昭和29年12月吉日」
「中洲は特別な歴史を有する。
江戸時代の中洲は須磨明石に勝る江戸随一の納涼観月の名所であった。明和年間に築立され三股富永町として繁栄したが寛政年間には埋め戻された。 明治19年に中洲は再び築立されて旧日本橋区中洲町となる。 明治・大正・昭和時代を通し、大川端の地として小山内薫等多くの文化人が往来し、その作品の舞台となる。
明治の築立から本年四月で百周年を迎えるにあたり、ここに記念の碑を建立する。
昭和61年8月吉日 町会長 小堀章三 文」
記念碑
「中洲は江戸時代隅田川の浮洲なりしを明治初年に埋め立てこの地に船玉琴平宮が祀られ産業振興の神として広く崇められたり しかし惜しくも大正12年関東大震災のために鳥有に帰し再建の機運に至らざりし処 湯浅勘次郎氏の夢枕が機縁となり 同志相諮り此の地を卜して四国琴平宮の御霊を遷座奉祀し広く繁栄の守護神として茲に神殿を建立奉る
昭和29年12月吉日」
「中洲は特別な歴史を有する。
江戸時代の中洲は須磨明石に勝る江戸随一の納涼観月の名所であった。明和年間に築立され三股富永町として繁栄したが寛政年間には埋め戻された。 明治19年に中洲は再び築立されて旧日本橋区中洲町となる。 明治・大正・昭和時代を通し、大川端の地として小山内薫等多くの文化人が往来し、その作品の舞台となる。
明治の築立から本年四月で百周年を迎えるにあたり、ここに記念の碑を建立する。
昭和61年8月吉日 町会長 小堀章三 文」
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